悲劇のサッカー選手射殺事件

コロンビアの熱狂的なサッカー大好きな国民性は2014年FIFAブラジルワールドカップの時の観客インタビューで「このブラジルでのワールドカップを観るために、仕事を辞めた」「一生懸命働いた」といったコメントが聞かれました。サッカーを熱狂的に愛する国民のコロンビア人ですが、コロンビアサポーターは熱狂的でもあり、凶悪さでも知られています。コロンビアに限らず、南米各国ではサポーターが熱狂してスタジアムで暴動を起こしたりすることがありますが、コロンビアのサポーターは暴動だけではありません。直接狙います。チーム関係者であったり、監督や選手までも狙うということは決して珍しいことではありません。

そして映画の舞台となった南米コロンビアのボコタは、1990年代には世界で最も危険で犯罪の多い都市として広く知られていました。ちなみに主人公カトレアが少女時代に目の前で両親を殺害されたのは1992年の設定になっていますが、ボコタは1993年の統計で人口10万人当たりにたいして年間81人という殺人事件が起こったほどです。1980年代から麻薬カルテルが力を持ったことで、ボコタを舞台にテロを起こしたり政府と戦闘を起こしたりと犯罪が多発した都市でした。近年は犯罪撲滅を目指しているため、殺人事件の発生も減りつつあります。

エスコバルの悲劇

1967年3月生まれのコロンビア代表でキャプテンのディフェンダーのアンドレス・エスコバル選手は、南米屈指のディフェンダーとして知られていました。コロンビア代表のセンターバックとして、国際大会に数々出場していたほか、麻薬王パブロ・エスコバルがオーナーを務めるサッカークラブチームのアトレティコ・ナシオナルのメンバーの一員として、コパ・リベルタドーレス優勝にも貢献して、インターコンチネンタルカップではACミランとも対戦した経歴を持っています。

1990年FIFAワールドカップイタリア大会に出場した際には、堅実な守備でコロンビア初となるワールドカップでのグループリーグ突破に貢献していますが、決勝トーナメント1回戦でカメルーンに1-2で敗れたためベスト16でイタリア大会を終えています。1993年のFIFAワールドカップ南米予選では、コパアメリカで南米チャンピオンに輝いています。この時には、アルゼンチン代表を5-0で破り首位で本大会に進出をきめました。

1994年FIFAワールドカップ本大会に臨む代表メンバーにもアンドレス・エスコバル選手は名前を連ねています。この時のコロンビアチームの攻撃陣には、カルロス・バルデラマ、ファウスティーノ・アスプリージャ、フレディ・リンコン、イバン・バレンシアーノ、レネ・イギータ、レオネル・アルバレス、ルイス・カルロス・ペレア、アドルフォ・バレンシアといったメンバーを擁していたコロンビアはワールドカップの優勝候補の一角とも言われていました。 ところが、初戦の1次ラウンド第1試合のルーマニア戦を1-3で落としてしまい、第2試合の開催国アメリカ戦は、決勝トーナメント進出するためには、アメリカには絶対に負けられない試合となりました。コロンビアの守備の要としてエスコバル選手は試合に先発出場していますが、前半35分に痛恨のオウンゴールをアメリカに献上しました。そしてその後アメリカに追加点を許したコロンビアは、終了間際に1点を返しますが勝利へは届かずに1-2で敗戦となり、この時点で1994年FIFAワールドカップアメリカ大会で、コロンビアの1次ラウンド敗退が決定しました。

悲劇の射殺事件

FIFAワールドカップアメリカ大会1次ラウンドでの敗退が決定して、1次ラウンドが終了した後、コロンビア代表チームはアメリカで解散となりました。代表選手の多くは、国民の非難や報復といったことを恐れたため、コロンビアへのて帰国を拒否してアメリカに留まりました。そんな中でアンドレス・エスコバル選手だけは違いました。

「自分はあのオウンゴールについて、ファンやマスコミに説明する義務がある」として、代表選手の中でたった一人、意を決してアメリカから母国コロンビアへと帰国しました。ところが、この男気あるアンドレス・エスコバル選手の決断こそが、後にエスコバル選手自身の運命を最悪の事態そして結末に導く事になってしまいました。

事件が起きたのは、1994年7月2日深夜3時半頃のことです。アンドレス・エスコバル選手はコロンビアのメデジン郊外のバーで友人と歓談した後に、店から出たところを犯人12発の弾丸を浴び銃撃され死亡しました。アンドレス・エスコバル選手はまだ27歳という若さでした。このときのことをエスコバル選手と一緒にいた友人の話によると、犯人のウンベルト・ムニョス・カストロは銃撃する際に「オウンゴールをありがとう」:Gracias por el auto gol.という言葉を口にしながら、12発もの弾丸を一気に発射したといいます。

この射殺事件はFIFAワールドカップ大会がまだ開催している最中に起こった衝撃的なニュースとして、世界中に報道されることになりました。そしてこの事件の直後に行われた決勝トーナメント1回戦のドイツVSベルギーと、スペインVSスイス戦ではアンドレス・エスコバル選手の死を悼みキックオフ前に黙祷が捧げられました。アンドレス・エスコバル選手は、もし射殺されることがなければイタリアセリエAのACミランへ移籍する予定でした。この一連の事件は後に「エスコバルの悲劇」と呼ばれています。

アンドレス・エスコバル選手が射殺された事件は、優勝候補とも言われながらも1次リーグで敗退したコロンビア代表への報復行為だったと言われていてまたそうだと信じられていますが、アンドレス・エスコバル選手を射殺した犯人が単独でおこなった犯行だったのか、それとも賭けの対象としてワールドカップで賭けていた不法賭博シンジケートがこの射殺事件に関与していたかどうかについては未だ明らかにされていません。1994年という1990年代のコロンビアは世界で最悪の殺人発生率の高さがあったため、アンドレス・エスコバル選手の死に少なからず関係があったのかもしれないとも言われています。アンドレス・エスコバル選手を射殺した犯人は、シンジケートの用心棒をしていたカストロです。この射殺犯人のカストロは1995年6月にアンドレス・エスコバル殺害の罪で逮捕されて、懲役43年の判決を受け服役しました。ところが、カストロは模範囚だとされて懲役34年の刑から大幅に懲役が短縮されて11年後に出所しています。

アンドレス・エスコバル選手の射殺事件の真相はいったいどうなのでしょうか?!コロンビアでは『コロンビアーナ』の映画でも描かれている通り、1990年代は世界で一番犯罪率が高く巨悪犯罪が起きている場所でした。マフィアは麻薬密売組織は麻薬だけではなく、かなり大掛かりなサッカー賭博を行なっていたといいます。コロンビアチームは優勝候補にも上げられるほど、前評判が非常に高く対戦相手のアメリカなどは勝利して当たり前だという前評判でした。母国コロンビアにかなり大金を賭けたサッカー賭博をしていたことも十分に考えられます。まさかの敗退で大損をこおむった腹いせでアンドレス・エスコバル選手を射殺したことも十分に考えられます。オウンゴールなど、自ら望んでするはずことなどなくたまたま起きたこと。誰が悪いわけでもないのに、簡単にも射殺していまうことに恐ろしさを感じます。