カリ・カルテルとメデジン・カルテルの衰退

2012年7月にコロンビアのメデジンでシールブックが子ども達の間で流行しました。メデジンは麻薬王パブロ・エスコバルが拠点にした場所ですが、子ども達に人気になったシールバックに描かれた人物はサッカー選手でもなければ、歌手でもありません。札付きの犯罪者たちパブロ・エスコバル、ゴンサロ・ロドリゲス・ガチャ、ジョン・ハイロ・バスケスといった犯罪者たちのシールブックです。そのシールブックの価格は格安で、日本円で約4円の100ペソです。シールブックを完成させると、子ども達が欲しがるMP3プレーヤーや、サッカーボールそしてiPodといった景品がもらえるということで子ども達の間で流行しました。子ども達が欲しがるこのシールブックが購入できるのは、メデジンの中でも最も貧困地区に出ている露店だけでしか購入することはできません。販売元や製造元が記載されていないため、シールブックの背後には何者がいるのかが不明になっていますが、今でも貧困層には一定の根強い支持が伺える出来事として知られています。

パブロ・エスコバルの最期

バブロ・エスコバルの全盛期には、自分の住んでいる敷地にプールなど当たり前で、飛行場に動物園そして自分の施設軍隊まで所有していました。そして「俺達に明日はない」の題材になったボニー&クライドが乗ったとされているクラッシックカーまでも所有していたといわれています。それだけではなく、海に浮かぶ島々をも我が物にして、島々には豪華な別荘などが作られていました。

パブロ・エスコバルは自分の身辺警護には異常ともいえるほど注意を払っていました。メデジンカルテルの街メデジンのタクシー会社を、侵入者を発見するためだけに買い上げたほどです。そして自分の身を置く場所は、48時間ごとに移動します。各地に分散している15にものぼる隠れ家を転々と移動しました。

逃亡中には、娘が寒さで震えるのもみるや100万ポンド(1億4800万円)の札束を燃やして暖をとり、料理を作るために120万ポンド相当(1億7700万円)のドルの束を燃やしたといいます。

殺害される

刑務所から移動するときにそのまま脱出したパブロ・エスコバルは、コロンビア政府だけではなく、アメリカのデルタフォース(陸軍特殊部隊)、メデジン・カルテルの次の大きさの麻薬カルテルのカリ・カルテルにも追われる身となりました。それだけではなく、独裁的なパブロ・エスコバルの追い落としを目的とした「Los Pepes(パブロ・エスコバルに虐待された人々)」と称した闇のグループからもつけ狙われることになりました。

この闇のグループ「Los Pepes」は、パブロ・エスコバルの家族や手下300人以上を殺害していたためメデジン・カルテルに大打撃を与えたグループになっています。このグループが起こした犯行現場には必ず「Los Pepes」の署名を残したといいます。パブロ・エスコバルは、自分の味方には多くの恩恵を与えていましたが、敵対者を殺害する前に、指を切り落とすといった残虐行為を犯したため、多くの人々の恨みもかっていました。その後判明したことによると「Los Pepes」という闇のグループは、パブロ・エスコバルと敵対しているカリ・カルテルが組織したグループだと判明したときには、市民は愕然としました。

しかし「Los Pepes」の身元に関しては明確な証拠がないたため、カリ・カルテルから発生したグループだという確認もないため、軍と警察を支援していたデルタフォースの関与も取りざたされていますが、これらの真偽の程は明らかになっていません。間違いなく確かになっているのは、争いが激しさを増す状況の中で、パブロ・エスコバル身中の人々の殺害を積み重ねて行くだけの組織的な実行力を備えていたということです。

その後コロンビア政府は、パブロ・エスコバルの一部の家族の身柄を確保します。そしてさらに1993年12月2日に、コロンビア治安部隊の電波調査斑が、メデジンの中産階級住宅街の隠れ家から息子と携帯電話で通話するパブロ・エスコバルの居場所を突き止めることに成功します。そこに治安部隊の特捜チームが突入して屋根の上に逃れたパブロ・エスコバルに一斉射撃を加えて殺害しました。パブロ・エスコバルの脚と背中、さらには耳の後ろにパブロ・エスコバルの致命傷となる銃弾痕が残っていたといいます。

ところが、「密かに出動していたデルタフォースの狙撃手がエスコバルを仕留めた」と信じる人もいれば、エスコバルが「自殺した」と信じる人、さらには「射殺されたのはまったくの別人で、パブロ・エスコバルは逃走して優雅な生活を続けている」と信じる人もいます。パブロ・エスコバルは死んだことで人々から伝説化されることになり、今でもメデジンの英雄として信望する人たちが多くいます。パブロ・エスコバルの妻子は敵対者の報復を恐れて各地を転々とした生活を送ります。

父親を殺害された息子のセバスチャンは16歳の時に、殺害された直後のインタビューで「父親を殺したやつらに復讐する」といった内容を述べたことで、セバスチャン自身にも懸賞金がかけられました。そしてそのため、コロンビアで生活を送ることが難しくなり名前を改名して「セバスチャン・マロキン」としてアルゼンチンで暮らすことになりました。

こうして2万人の死者をだしたとも言われている麻薬戦争は、パブロ・エスコバルの死をもって終結することになりました。そしてパブロ・エスコバルだけではなく、幾度にも渡るアメリカ軍による討伐作戦とコロンビア政府による摘発で、多くの麻薬カルテルの人物が逮捕されるかもしくは死亡しました。カルテルは統一された実体としては消滅しました。カルテルの持つ組織力と影響力の多くは失われていますが、その中でも生き残った組織や元構成員は国際的な麻薬界で現在もまだ活動を行なっています。

遺体の確認

パブロ・エスコバルの遺体を発掘することに反対していた母親のエルミルダ・ガビリアが亡くなり2日経った2006年10月28日に、パブロ・エスコバルの遺体が甥のニコラス・エスコバルの要請によって掘り出されました。そして遺体が実際にパブロ・エスコバルのものであったことが確められており、DNAも採取されています。エル・ティエンポ紙の報道によると、パブロ・エスコバルの先妻マリア・ビクトリアは、ビデオカメラで発掘を記録しています。

カリ・カルテル

パブロ・エスコバルが率いたメデジン・カルテルと敵対したカリ・カルテルは、コロンビアの都市サンティアゴ・デ・カリで活動していたヒルベルトとミゲルのロドリゲス兄弟が中心となり営利誘拐を生業とする「ロス・チェマス団」を前身としています。

麻薬密売に手を付けたジルベルトは、軽飛行機を購入して半製品のコカのペーストをペルーからカリに空輸します。カリで塩酸コカインに精製してアメリカに送りました。それはやがて数年で七百機の飛行機を用意して全米に運ぶようになりました。この兄弟は、抜群の経営能力をもっていました。まず銀行に投資して1974年に自ら銀行を設立して、中南米の銀行を買収しました。またコカインの国内製造のために全国最大の薬局チェーンを買収して必要な薬品を何でも輸入することを可能にしました。

この彼らの情報収集能力も驚異的だったため、アメリカの捜査当局でさえもカリ・カルテルには出し抜かれたほです。メデジン・カルテルが重厚なヒエラルキーによって支えられていたのとは対照的になっていて、生産者がそれぞれ自営で決定権を持ちながら、生産物を消費者の元まで届けるという酪農組合に似たシステムをカリ・カルテルは作り出しました。このカルテルは利益を追求していきながらも、当局との直接対決は避けており、表に出ない立場をとっていました。

1980年代に入りマネーロンダリングに対する司法の目が厳しくなると、カリ・カルテルはアメリカでドルで耐久消費財を買ってコロンビアに密輸。そして現地通貨のペソで売りました。そしてコカインだけではなく、ヘロインの製造も手がけることで急成長して、メデジン・カルテルに次ぐ規模になりました。カリ・カルテルの幹部たち中小企業経営者や中産層が多いことから、当局者を徹底買収することによって政府当局との戦闘を控えて、無用な殺傷を極力避けていました。

1981年と1982年に、他のコロンビア・マフィアとの会議を行カリ・カルテルはニューヨークを縄張りにすることに決めたため、もし他の組織がニューヨークに密輸する場合はカリ・カルテルと連携しなければならなくなりました。その後に、逮捕のリスクを避けるために、メキシコマフィアと協定を結んでコロンビアからメキシコ経由で麻薬を運ぶようになりました。

1986年からライバルのメデジン・カルテルがコロンビア政府を相手に麻薬戦争を開始すると、コロンビア当局にメデジン・カルテル情報を流したことから、メデジン・カルテルから攻撃を受けることになりました。それに伴って武闘派路線をとるようになりました。

メデジン・カルテルが1993年にパブロ・エスコバルが死亡したことでメデジン・カルテルが壊滅すると、コロンビア産コカインの8割を支配することになり、カリ・カルテルは年間推計90億ドルの収益を挙げるようになりました。ところが、翌年1994年に、エルネスト・サンペール・ピサノが大統領に就任すると、大統領選挙にカリ・カルテルが資金を提供していたことが発覚して大スキャンダルになりました。カリ・カルテルのロドリゲス兄弟といった最高幹部は、メデジン・カルテルの二の舞を避けるためにコロンビア政府と取引して、刑期短縮を条件に自首することでカリ・カルテル組織の延命を図ろうとしましたが、刑務所に入ったことで組織としての統制がとれなくなったためカリ・カルテルも衰退することになりました。カリ・カルテルの幹部の多くは。現在アメリカ合衆国の刑務所に収監されています。現在のコロンビアでは、過去のようなメデジン・カルテルやカリ・カルテルといった大型した組織はいなくなっているため、カルテリトと総称される小型組織が幅を利かせています。